さかのぼって2018年4月23日の出来事
車検証フォルダーがくたびれてきて
2011年に中古ビーエム君(2005年式)を買った時に取扱説明書やサービスブック、国内ディーラーリストなどが一揃い入ったBMW標準の合成皮革の車検証フォルダーが付いてきました。
このフォルダーは普通のビニール製ではなかったのでけっこう気に入っており、いつもはBMW標準の救急箱と一緒にラゲッジルーム(トランク)のバッテリーカバーの上に置いていました。
当時はきれいだったフォルダーも、購入直後に取扱説明書を何度も出し入れしたことやその後の経年劣化で傷付き朽ちてきて、気がついたらけっこうくたびれていました。
メルカリで中古品を入手
ヤフオクやメルカリできれいな中古品が出ていたら・・・と検索したところ、ちょうど手ごろなものが1,500円(税込)で出品されていたのですぐに入手しました。
つぎの画像は新車からの車検証フォルダーと、メルカリでゲットしたものを並べてこのほど撮ったもので、右のきれいなほうがメルカリでゲットした車検証フォルダーです。
中身を右のフォルダーに入れ替えて使っているのですが、最近は取扱説明書なども読み返すことが少なくなり、メルカリ購入品は今でもきれいな状態を保っています。
費用は1,600円でした
コンビニ支払いの手数料が100円でしたので、トータルでは1,600円(税込)でした。
購入後の費用、経過年月、走行距離表示値
・これまでの修理代、車検費用、オイルやタイヤなどの消耗品代の累計:1,521,349円(税込)
・今回の1,600円(税込)を含めたこれまでのアクセサリー代の累計:222,123円(税込)
・今回分も含めたこれまでの両費用の累計:1,743,472円(税込)
・2011年5月に中古購入してからの経過年月:6年11ヶ月
・2005年式中古ビーエム君の走行距離計表示値:111,551km
・中古購入後の走行距離:74,951km
本題はここまでですが、ちょうどいま東京2020オリパラ(第32回夏季オリンピック:7/23~8/8、第16回夏季パラリンピック:8/24~9/5)が東京を主会場として始まっていますので、当時スポニチで「車の五輪」と紹介されていた日本初のF1を、私の視点でご紹介したいと思います。
この年は3月の富士グランチャンピオンレース開幕戦は現地で観戦したのですが(S/N:005でご紹介済み)、夏に入って転勤となり他にもいろいろあって、じつは残念なことにこの「車の五輪」には行っていません。
日本で初のF1は1976(昭和51)年でした
日本初のF1はちょうど45年前の1976(昭和51)年10月に開催されました。
つぎの画像は45年前のスポニチの6月8日付けの第(1)面で、スポーツニッポン新聞社がマールボロ・ワールド・チャンピオンチームの協力を得て、毎日新聞社と富士スピードウェイとの3社共催で日本初のF1開催(決勝:10月24日)を開催するという記事です。
記事にあるように、富士スピードウェイのショートコース(1周4.359km:当時)を“右回り”で73周する日本初のF1レースで、1976年の16戦目にあたる最終戦でした。
F1世界選手権イン・ジャパン
正式な名称は「F1世界選手権イン・ジャパン」という変則的なネーミングでしたが、これはJAF(日本自動車連盟)が既に同年11月の全日本F2000選手権最終戦に「日本グランプリ」を冠することを決めていたためでした。
第(1)面に掲載されているマシンはマールボロ・チーム・マクラーレンからエントリーしていたジェームス・ハントのマクラーレンM23(No.11)ですが、新聞では「地上を飛ぶジェット機」と紹介されています。
車の“五輪”だ
つぎの画像は第(2)面で、さきほど紹介した「車の“五輪”だ」という太文字のキャッチフレーズも見られます。
いまのF1マシンのカラーリングはスポンサーカラーやコーポレートカラーがベースですが、1960(昭和35)年代はFIA(国際自動車連盟)がマシンの塗装色を国別に指定しており、ナショナルカラーと呼ばれていました。
この記事のライターにはその頃の“F1は競走車の国別対抗戦”といったイメージが残っていたのかもしれませんね。
“ナショナルカラー・・・”で付け加えると、本田宗一郎氏は1964(昭和39)年のホンダF1参戦時に“黄金の国ジパング”を意識した“金色”を希望したようですが、残念ながら金色はすでに南アフリカが登録していました。
そこで最終的にはアイボリーホワイトに日の丸をあしらったカラーリングに落ち着いたと言われています。(S/N:053とS/N:055でご紹介済み)
宗一郎さんがオールホンダのフルワークスマシンでF1に参戦した1964年に前回の東京五輪が開かれ、そして今回の東京五輪の2021年にパワーユニットのサプライヤーとしての参戦を終了することになるとは・・・
紙面が黄色く変色しているのは
私はスポニチ紙のこの両面だけをA4サイズに畳んで保管してきたので、何度かの引っ越しでも散逸せずに、黄色く変色しながらも手元に残っていました。
そこで今回の投稿に合わせて、自分でアイロンをかけてA2サイズに整えてから、専門業者でスキャンしてもらった次第です。
じつは新聞紙面を残しておくのは10代の頃からの私の癖で、ホンダがF1で優勝したときの全面広告の紙面も2枚ほど保管していました。
初優勝(1965年・メキシコGP)は私が中学生のとき、そして2勝目(1967年・イタリアGP)は高校生のときでした。(S/N:053とS/N:055でご紹介済み)
このレースの結果次第で1976年のF1世界選手権ワールドチャンピオンが・・・
日本で開催されたF1最終戦の役割と模様を、かいつまんでご紹介したいと思います。
前年の1975(昭和50)年に自身初のワールドチャンピオンに輝いたニキ・ラウダ(フェラーリ312T2・No.1)は、2連覇を目指して選手権ランキングトップを確保していましたが、10戦目のドイツGPでの大クラッシュと大やけどにより、シーズン欠場を強いられました。
この状況で一躍タイトル争いに迫ったのが、ジェームス・ハント(マクラーレンM23・No.11)でした。
ラウダは2戦欠場の後に復帰しましたが、完全には怪我が治癒しておらず、激しい雨と霧の中でスタートした最終戦の「F1世界選手権イン・ジャパン」ではなんと2周で自主的にリタイアして、その後の展開を見届けずにサーキットを後にしました。
この結果、ここまでポイントランキング1位(68ポイント)につけていたラウダのノーポイントが確定し、ランキング2位につけていたハント(65ポイント)は4位(3ポイント)以上なら優勝回数の差で逆転できることになったわけです。
当のハントは2番グリッドからスタートし、ラウダが去ったあと、逆転チャンピオンを目指して62周目までずっとトップを走っていました。
ところがレインタイヤの摩耗が限界に達し、タイヤ交換のため残り5周でチャンピオン圏外の5位に転落してしまったのです。
しかしピットアウトしたハントは、怒涛の追い上げで前の2台をパスして3位(4ポイント)に入り、その結果ラウダとは1ポイント差でワールドチャンピオンとなったのです。
ジェームス・ハントがワールドチャンピオンに
つぎの画像は雨も徐々に収まり路面が乾き始めた頃のハントで、この時はまだ順調にトップを走っていました。
優勝はマリオ・アンドレッティ
波乱のレースで優勝したのはポールポジションからスタートしたマリオ・アンドレッティ(ロータス77・No.5)で、レインタイヤをいたわるペースメイクが功を奏し、タイヤを交換することなく、2位以下を周回遅れにして73周目のチェッカーフラッグを受けました。
つぎの画像はのちに発売された優勝記念の1/43スケールのミニカーです。
黒地に金のラインとJPSのロゴで飾られた印象的なマシンでした。
フロントが奇抜なティレル6輪車も2台エントリー
2位に入ったのは、ハントと同じくタイヤ交換で周回遅れとなったパトリック・デパイユ(ティレルP34・No.4)で、前輪2軸4輪のマシンはこの年の4戦目のスペインGPでデビューし、7戦目のスウェーデンGPではワン・ツーフィニッシュを飾ったブルーの6輪車でした。
つぎの画像は出走したマシンを再現したタミヤの電動ラジコンカーのパッケージです。
レースにはP34が2台出走しており、このゼッケンNo.3はジョディ・シェクターのマシンです。
シェクターはレースでは残念ながら58周目にオーバーヒートでリタイアしましたが、この年のドライバーズランキングではラウダに次ぐ3位でした。
当時は呼び方もメディアのカタカナ表記もティレル(Tyrrell)ではなく“タイレル”で、タミヤのパッケージも“タイレル”と印刷されています。
当日走った2台のボディにはひらがなで「たいれる」とペイントされていたので、ラジコンカーにもそのデカールが・・・
ちなみにティレルのブルーはビーエム君の前の私のオモチャだったオートバイ・ヤマハFZR400(S/N:003、S/N:057でご紹介済み)の(ゴロワーズ)ブルーと同系統で、好きな青色でした。
ちなみにフジテレビが地上波で深夜帯にF1全戦の中継を始めたのは日本初のF1から11年後の1987(昭和62)年でした。
おまけ-1
つぎの画像は映画『ラッシュ/プライドと友情』(2013年製作)のポスターで、私の好きな漫画家 曽田正人さん の作品です。
ライバルでもあり友人でもあったラウダとハントの1976年シーズンの戦いを描いたもので、映画のなかで「F1世界選手権イン・ジャパン」の実際のレース映像が使われています。
おまけ-2
「10月24日に日本初のF1が開催される・・・」とスポニチが報じたのが6月8日でしたが、私が手に出来たのは入社2年目の勤務地が東京だったためです。
さらに東京勤務のおかげで、翌月の7月27日には、新聞各社が一斉に配布した“特別号外”にも新橋駅前?で遭遇できました。
それが「田中角栄前首相を逮捕」でした・・・
2005年式中古ビーエム君の購入後10年間のまとめ
2021年8月5日の時点での2005年式中古ビーエム君に費やした費用と経過年数、走行距離について
・車種&グレード:E90・320i・Mスポーツ・6MT・アルピンホワイトⅢ
・修理代、車検費用、オイルやタイヤなどの消耗品代の累計:2,213,741円(税込)
・アクセサリー費用の累計:351,795円(税込)
・両費用の累計合計:2,565,536円(税込)
・2011年5月に中古購入してからの経過年月:10年と3ヶ月
・走行距離計表示値:136,410km
・中古購入後の走行距離:99,810km
次回テーマはエンジンオイル、オイルフィルターの交換です
今回はこれまでにない長文になりましたが、最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
次回は定例のエンジンオイル、オイルフィルターの交換についてご紹介します。
楽しみにお待ちください。