ビーエム乗りになりませんか Let's be a Bimmer!

私は今年15年目に入ったBMWのマニュアル車に乗っています。乗り始めてからずっと良き相棒で、いまも手放すつもりはありません。ブログでは9年前に購入してからの維持費を紹介していきたいと思っています。今後とも宜しくお願いします。

S/N:087 2回目となった“冷却水漏れでレッカー”

さかのぼって2021年7月23日の出来事
いきなりいつものポーンが・・・
7月に入った直後のこと、大通りからスーパーの駐車場に入ったとたんにいつものポーンという警告音、そして気付いたら運転席ディスプレイの警告灯が点灯していました。

そこで、そのまま近い駐車枠に飛び込んで、すぐにエンジンを止めました。

つぎの左の画像が警告灯で、右の画像は駐車後に見た取扱説明書の該当箇所の抜粋です。

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「冷却水レベルが低すぎる」というマークでしたので、エンジンフード(ボンネット)を開けて、エンジンルーム内やアンダーカバーなど見回したのですが、漏れている箇所は特定できませんでした。

また駐車するまでの走行ルート上にも、冷却水の濡れた跡は見あたりませんでした。
帰宅到着時に別の警告灯も・・・
「オイオイ、またレッカー手配か?今日は家族2人も乗せているのに」と・・・

悩んだのですが、自宅から5km、10分ほどの近所だったので、意を決していったん帰宅することにしました。

しかし、自宅まであと数百mといったところで、またもやポーンという警告音と同時に、別の警告灯が点灯しました。

つぎの左の画像が別の警告灯で、右の画像が取扱説明書の該当箇所の抜粋です。

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今回も黄色でしたので、そのままエンジン回転数を極力落として低速走行で、自宅のカーポートに滑り込ませました。

マークは「エンジン温度が高すぎる」というもので、このまま走り続ければ赤色になったのかもしれませんね。
修理依頼、レッカー手配、冷却系統チェック
これまで修理や点検、また2ヶ月前の5月にも車検整備を依頼したお店のスタッフにすぐに連絡して、「今からレッカー手配して夕方までには送り届けるので、修理して欲しい・・・」とお願いしました。

同時に保険会社に電話で事情を説明して3回目となるレッカー移動を依頼しました。

その際、低車高に対応したタイプの積載車が必要だったので、保険会社には1回目、2回目とも好印象だった業者さんを指名しました。

1回目(2017年5月でS/N:053でご紹介済み)、2回目(2017年7月でS/N:055でご紹介済み)とも、出先の故障した現場から同じお店までだったのですが、今回はいわゆる“現場(出発地)”が自宅だったせいか、保険会社からはレッカーサービスの理由(故障のいきさつなど)を詳しく聞かれました。

レッカーを待っている間に、エンジン温度が冷え切ったのを見計らって、あらためてエンジンフードを開けてエンジンルーム内をチェックしました。

そして空になっていた冷却水タンクにホースで水道水を補給?し始めたのですが、そのままラジエター(ラジエーター)の下にダダ漏れしていって、まったく溜まっていく気配は感じられませんでした。
積載車への積み込み
つぎの画像は当時の「ロードサービス作業明細書」です。

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今回も1回目、2回目と同じレッカー業者さんでしたが、伝票が違っていました。

以前は2回ともレッカー業者さんの会社発行だったのですが、今回は別仕様の伝票になっていました。(どうも保険会社が全国でレッカー手配の窓口を「プレミアアシスト」に統一したようですね)

レッカー車への積み込みは、ラジエターが空になっていることがはっきりしていたので手際よくやってもらいました。
修理入庫先のスタッフと打合せ
すぐに修理を依頼したお店に向かい、ビーエム君の前でスタッフと打合せしました。

代車をお願いしたら「グループ内でレンタカーも始めている、自動車保険が使えるので保険会社に了解をもらって欲しい」と言われました。

じつはこの時に初めて「代車費用が出る」ことを知ったのですが、保険会社に聞いて「OK、但し30日が限度」との回答だったので、レンタカーを借りることにしました

その際シリンダーヘッドガスケットの吹き抜けが心配だったので、「残った冷却水へのエンジンオイル混入エンジンオイルへの冷却水混入を観察しておいて欲しい」と、スタッフに念押ししました。
内心かなりヒヤヒヤ・・・
じつは今回の冷却水トラブルは2回目で、1回目は4年前の2017年5月で、その時も黄色のマークで「エンジン温度が高すぎる」というものでした。

その時はラジエターアッパーホースとサーモスタットを交換し、当然ロングライフクーラント(LLC)液3ℓを希釈して冷却水を入れ替えました。(S/N:053でご紹介済み)

今回は2回目の警告灯でしたので、最悪の場合ラジエターが割れている・・・とか、シリンダーヘッドが歪んでいる・・・といった高額修理も予想されたので、けっこう落ち込んでいました。

S/N:045でご紹介しましたが、独身時代に乗っていた3台目のマイカー・三菱ランサー1600GSRのシリンダーヘッドのガスケットを吹き抜いてしまい、ドック入りさせた苦い思い出があったので、なおさらでした。
ラジエターのドレンプラグが・・・
こちらからはまったく連絡をしなかったのですが、ちょうど2週間経ったときにスタッフから連絡があり「修理が終わったので、いつでも引き取りに来てください」とのことでした。

恐るおそる「冷却水やオイルの状態はどうでした?」と聞いたら「シリンダーヘッドガスケット吹き抜けの兆候は見られませんでした」との回答で、ホッと胸をなでおろしました。

つぎの画像は請求書の該当箇所の抜粋です。

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費用はラジエタードレンプラグが2,585(税込)、ロングライフクーラント(LLC)液×3本(4.5ℓ)が11,415円(税込)、そして値引き後の工賃6,000円(税込)の合計金額で20,000円(税込)でした。

つぎの左の画像はラジエター、右の画像はドレンプラグで、いずれもサイトから拝借しました。

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ラジエターのドレンプラグが無くなっていた?ようで、そこから冷却水が一気に漏れ出したようです。

結果として最悪の事態を免れたのでそれ以上は聞かなかったのですが、ラジエタードレンプラグが破損脱落した“そもそもの原因”は何だったのでしょうかね・・・
購入後の費用、経過年月、走行距離表示値
・今回の20,000円(税込)を含めたこれまでの修理代、車検費用、オイルやタイヤなどの消耗品代の累計:2,168,112円(税込)
・前回までのアクセサリー代の累計:351,795円(税込)
・今回分も含めた両費用の累計:2,519,907円(税込)
・2011年5月に中古購入してからの経過年月:10年と2ヶ月
・2005年式中古ビーエム君の走行距離計表示値:136,225km
・中古購入後の走行距離:99,625km
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今回は私にとっては不幸な3回目のレッカー移動となりました。
そこで3という数字にこだわって、ホンダF1にとって待望の3勝目をご紹介したいと思います。(1勝目はS/N:053で、2勝目はS/N:055でいずれもご紹介済み)
オールホンダのフルワークスマシンでは通算3勝!
ホンダのF1挑戦はシャーシもエンジンもオールホンダで臨んでいた時代と、エンジン又はパワーユニットコンストラクターに供給していた時代に分けられます。
3勝というのは前者の自前のシャーシに自前のエンジンを搭載した、オールホンダのフルワークスマシンによる勝利数になります。
オールホンダF1の3勝目は第3期
第3期となる2000年シーズンから2008年シーズンについては当初はシャーシ製造を含めたフルワークスによるF1参戦を目指していましたが、残念ながらスタートは第2期と同じくコンストラクターへのエンジン供給となりました。

供給先はB・A・R、そしてジョーダン・グランプリ、スーパーアグリF1チームの3コンストラクターでした。

B・A・Rもずっと勝利から見放されていましたが、タバコ広告禁止をきっかけにホンダがB・A・Rの100%株主となり、2006年からはオールホンダのフルワークスマシンでの参戦となりました。

そしてその最初の年となる2006年の第13戦ハンガリーGP(8月6日開催)で優勝を飾ることになったのですが、1967(昭和43)年のイタリアGP以来じつに39年ぶりの優勝でした。

このときはシャーシがRA106エンジンは水冷90度V型8気筒DOHC48バルブ2400cc、自然吸気でのRA-806E、そしてトランスミッションがホンダ7速セミATのマシンをジェンソン・バトンがドライブしてのものでした。

その後、2007年、2008年はいいところなく、2008年9月のリーマン・ショックによる業績悪化を理由に、最終的にはそのシーズンをもって“撤退・チーム売却”となりました。

ちなみにトヨタBMWのF1撤退はその1年後でしたが・・・
“夢こそが、私たちのエンジンだ。”
つぎの画像はハンガリーGPから5日後の、2006年8月11日の新聞です。(ネットから拝借しました)

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3勝目の凱旋報告とこれまでの戦績を、いくつかの全国紙に左右2面の見開き(2連版全30段カラー)で掲載していたようです。

そして、つぎの画像も同じもので、ホンダのホームページから拝借した広告原稿です。

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1964(昭和39)年の第1期から今回の第3期のオールホンダでの3勝目に至るまで、西暦で各年ごとに参戦したレース名を白文字で(例:1964、Rd.6 ドイツGP)、そして(エンジン供給のみも含めて)優勝したレース名が赤文字で表されていました。
“Without racing, there is no Honda.”
つぎの画像はハンガリーGP優勝の翌日7日のロンドン・タイムズ紙の紙面の抜粋です。(ネットから拝借しました)

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広告では
『我々の創業者は「レースなしではホンダは存在しない」と宣言しています。42年後、我々は今でもF1で勝利するというモータースポーツの究極の挑戦を信じています。この夢は・・・以下省略』
と訴える内容だったようです。

たしかに「勝って世界一になる!それをモノづくりに活かす!」と、倒産寸前でもF1挑戦を諦めず、結果として2勝目をもぎ取った宗一郎さんらしい発言ですね。

でも!・・・1991年に宗一郎さんが亡くなって翌1992年には、1983(昭和58)年から続けてきたF1活動をあっさり“休止”させたホンダを知っている私としては・・・、宗一郎さんが「どの口が言う・・・都合よく俺を利用するな!」と怒っていたような気がしますが・・・
オールホンダF1の1勝目と2勝目は第1期
ところで、57年前の1964(昭和39)年の第6戦ドイツGPでデビューしたオールホンダF1の初優勝は、翌年1965(昭和40)年の最終戦となった第10戦メキシコGPで、その時のシャーシはRA272、エンジンはRA272E(1,495cc)、そしてドライバーはリッチー・ギンサーでした。(S/N:053でご紹介済み)

1966(昭和41)年は新型エンジン(3,000cc)開発の遅れから、参戦できたのは終盤の3戦だけでした。

待望の2勝目は翌1967(昭和42)年の第9戦イタリアGPで、その時のシャーシはRA300、エンジンはRA273E(2,992cc)、そしてドライバーはジョン・サーティースでした。(S/N:055でご紹介済み)

そして1968(昭和43)年は全12戦に臨み、残念ながらこのシーズンをもってF1活動の“休止”を発表しました。

理由は「大気汚染に対する市販車用低公害型エンジンの開発に経営資源を投入する」というものでしたが、これが後に、ホンダF1第1期と呼ばれることになりました。

最近のホンダはコンストラクターへのパワーユニット供給に徹していますが、当時は今と違って自前のシャーシに自前のエンジンを搭載した、オールホンダのフルワークスマシンで参戦していました。
ホンダF1の第2期は
ホンダF1の第2期は「ターボエンジンの最高峰」を目指した1983(昭和58)年の第9戦イギリスGPから1992年までで、スピリットをはじめウィリアムズF1やチーム・ロータスマクラーレンティレルへのエンジン供給に徹した時代で、セナ、プロストの活躍もあって通算69勝を挙げました。

そんななか日本国内のバブル崩壊、世界各国での新車販売不振を理由に1992年シーズンをもってF1活動“休止”を発表したのですが、前年の1991年に宗一郎さんが亡くなっていたこともあって、やめやすかったのかもしませんね。

私としてはこのときホンダは「宗一郎さんが趣味・道楽でやってきたF1」と決別したと思っています。
ホンダF1第4期は2021年シーズンをもって“終了”
ホンダF1第3期は先ほど説明したとおりです。

ホンダF1第4期は「勝てないHONDAの汚名返上、勝つために組む」として、2015年シーズンからのマクラーレンへのパワーユニット供給で始まり、結局勝てないまま3年で提携解消となりました。

そして2018年からはパワーユニット供給先がレッドブル・レーシングのジュニアチームであるスクーデリア・トロ・ロッソ(現在のスクーデリア・アルファタウリ)へ、そして2019年からはレッドブル・レーシング本体にも並行して供給を開始しました。

そして2019年の第9戦オーストリアGPでレッドブル・レーシングマックス・フェルスタッペンが2006年以来13年ぶりの勝利を挙げ、その年はさらに2勝を重ねました。

2020年も8月にフェルスタッペンが、9月にはアルファタウリのピエール・ガスリーが勝利するなか、シーズン中の10月「2050年のカーボンニュートラル実現のために経営資源を集中させる」ことを理由に、2021年のF1世界選手権のシーズンをやりきったら、パワーユニットサプライヤーとしての参戦を“終了”することを表明していました。

そんななか2021年の開幕戦バーレーンGPで、フェルスタッペンが2位、さらに2戦目のエミリアロマーニャGPで2021年の初勝利を上げました。

その後順調に勝利を重ねていたのですが、最終戦アブダビGPを残して、なんとメルセデスF1ルイス・ハミルトンに追いつかれてしまいました。
ホンダF1の“有終の美”
終戦アブダビGPでポールポジションを得たフェルスタッペンでしたが、スタートでハミルトンにかわされそのあと徐々に引き離されて勝利から見放されつつありました。

しかし!最終盤のセーフティカー導入に助けられ、リ・スタートした最終ラップでハミルトンを抜き、そのままトップでゴールして初の年間ドライバーズチャンピオンシップを決めました。

いっぽうコンストラクターズチャンピオンシップのほうですが、フェルスタッペンとセルジオ・ペレスとの2台体制で臨んだレッドブル・レーシングとしては、残念ながらハミルトンとバルテリ・ボッタスを擁するメルセデスF1に次ぐ2位でした。

いずれにしてもフェルスタッペンが2021年のドライバーズチャンピオンシップを得たことで、文字通りホンダにとっては“有終の美”を飾ることができました。
F1はホンダの“文化”とならず
宗一郎さん亡き後に宗一郎色を一掃しようとしていたホンダが、いつの頃からか「レースは会社のDNA」とか、「レースはホンダの企業文化」と口にするようになりました。

そして始めたのが「勝てないHONDAの汚名返上、勝つために組む」としたホンダF1第4期だったのですが、結局カーボンニュートラル”をうま~く利用して“終了”させました。

ホンダF1第3期も(宗一郎さんの遺志を継いで)フルワークスによる参戦」で準備し、当初はエンジン供給でしたが、2006年に「フルワークスを実現!」させたにもかかわらず、2008年9月のリーマンショックを理由に、そのシーズンを消化したらあっさり“撤退”しました。

第3期、とくに第4期に至っては、カッコいい再開宣言も口先だけで、根っこは「広告宣伝」「イメージアップ」を期待して始めただけだったのでしょうね。

そして莫大な経営資源をつぎ込んでやっと勝利を重ねるようになっても「ヨーロッパでの業績回復・拡大にはまったく結びつかない」のを見て、2021年シーズンをもって見切りをつけた・・・のではないでしょうか。

F1村の住民(宗一郎さん亡き後の)ホンダの“ビジネス体質”がわかっていて、村のなかに真剣に引き留めてくれる“同志”“仲間”もいなかったのでしょうね。

「サラリーマン社長に“志”を求めるのは酷というもの」・・・ですかね、残念です。
のさきF1で「君が代」は・・・
F1の表彰式では優勝ドライバー優勝コンストラクターのそれぞれの国籍に応じた国歌が(もし国籍が重複すれば連続して同じ国歌が)流れます。

残念ながら、F1では2006年第13戦ハンガリーGPが君が代」の演奏を耳にした最後のレースとなりました・・・たしかに日本GPのレース前には開催国としての「君が代」が歌われるのでしょうが・・・

そしてオールホンダF1の4勝目が期待できなくなったということは、私も4回目のレッカー移動の心配から解放された!ということでしょうかね・・・
Once, Soichiro Honda said that
“without racing, there is no Honda.”・・・ネットで見つけたアメリカのホンダディーラーの「想い」の書き出しを原文で載せておきます。

Once, Soichiro Honda said that "without racing, there is no Honda." His words were taken literally by the Japanese, and even in the harshest times of financial crisis, the carmaker kept its promise to its founder and managed to stay involved in racing. Now, living through better times, with wins in Formula 1 and other racing exploits, the carmaker is making a bold promise to return to the tracks with the race-spec Civic Si.・・・
2005年式中古ビーエム君の購入後10年間のまとめ
最後に費用が発生した2021年8月5日の時点での2005年式中古ビーエム君に費やした費用と経過年数、走行距離について
・車種&グレード:E90・320i・Mスポーツ・6MT・アルピンホワイトⅢ
・修理代、車検費用、オイルやタイヤなどの消耗品代の累計:2,213,741円(税込)
・アクセサリー費用の累計:351,795円(税込)
・両費用の累計合計:2,565,536円(税込)
・2011年5月に中古購入してからの経過年月:10年と3ヶ月
・走行距離計表示値:136,410km
・中古購入後の走行距離:99,810km
2022年3月16日時点の経過年月、走行距離、費用合計
・2011年5月に中古購入してからの経過年月:10年と10ヶ月
・中古購入後の走行距離:103,346km
・費用の合計:2,565,536円(税込)
次回テーマは正規代理店でのサマー・チェックとオイル交換です
これまでにない長文になってしまいましたが、最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

次回はBMW正規代理店でのサマー・チェック、エンジンオイルとオイルフィルターの交換についてご紹介します。

楽しみにお待ちください。